フリーメイソンとHSBC(香港上海銀行)

 

HSBC(香港上海銀行)の歴史

1864 年、太平天国が滅亡し、フリーメーソンのロッジが上海に林立した年に、ロンドンで植民地協会が設立されました。その4 年後に英国王室の後ろ盾によって、この協会は王立直轄植民地協会と名が改められましたが、この協会によって創立された銀行が、HSBC(香港上海銀行)であります。

 

出資者は、D・E・サッスーン商会、ベアリング商会、ジャーディン・マセソン商会、そしてロスチャイルドに関係する役員で構成されていました。D・E・サッスーンは、「阿片王」とも呼ばれた麻薬商人で、アヘン貿易で莫大な富を得ました。

 

その麻薬は、インドで紅茶と共に栽培され、リプトン、ブルックボンド、トワイニング、フォートナム&メーソンといったイギリス紅茶の総元締めとしても知られています。

 

サッスーン一族は、後にロスチャイルド家と親類関係になりますが、上海を中心に中国北部を支配したフリーメーソン組織「イングランド系北支地区大結社」の首脳の一人で
ありました。

 

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同じくHSBC の株主であるジャーディン・マセソン商会の会社名は、創業者のウィリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンの名を組み合わせたものですが、今日では高級酒コニャックの販売と、ホワイト・ホースの輸出業者として知られています。




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そして、ジャーディン家、マセソン家は代々フリーメーソン300 人委員会のメンバーであります。ジャーディン・マセソン商会は、東インド会社の後継会社で、ロスチャイルド系の会社です。

 

 

東インド会社

東インド会社は、インドでの蛮行が世界の批判を浴び、1874 年に会社は閉鎖に追い込まれました。

 

この東インド会社末期の利権を激しく争ったのが、サッスーンとジャーディン・マセソンですが、1877 年にジャーディン一族と結婚したケスウィックがサッスーン家との和解を申し出て、その一族のウィリアム・ケスウィックが香港上海銀行の重役として迎えられ、取締役として大きな権力を与えられる事になりました。

 

このケスウィック家もまた、ロスチャイルド一族であり、以後ジャーディン・マセソンとサッスーンはロスチャイルド背後の下で、手を結び、中国及びHSBC(香港上海銀行)支配を続けることになりました。

 

HSBC(香港上海銀行)は、中国とのアヘン貿易で莫大な富を得たフリーメーソンやロスチャイルドのお金を取り扱う金融機関が必要となり設立されたものであり、その株主の大半は麻薬商人であったと言えます。

 


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