ジョージ・ワシントンとフリーメイソン
ワシントンは、1752 年2 月4 日にヴァージニアの 「フレデリックスバーグ・ロッジ」に入会し、1752 年11 月4 日には 「徒弟」 、翌年3 月3 日に 「職人」 の位階に進み、8 月4 日には 「親方」 の位階に進級していることが記録に残されています。
そして、1789 年にジョージ・ワシントンが、第一回のアメリカ大統領宣誓式をフリーメイソンの経典に手をかざして、フリーメイソン式の式典方式で行なった事は有名です。
ワシントンは、ヴァージニア州のマウント・ヴァーノンの大農園を所有していたように、金持ちで、彼の所属していた 「フレデリックスバーグ・ロッジ」 はヴァージニア州の上流階級の人達のための親睦クラブのようなものとして機能していたと推測されます。
「軍事ロッジ」 とジョージ・ワシントン
アメリカ独立戦争がはじまると、軍隊では盛んに 「軍事ロッジ」 が創立されましたが、「軍事ロッジ」 とは、軍隊の内部で組織されるロッジであり、常設のロッジと異なり、軍隊の移動とともにロッジも移動するものであります。
ワシントンは、この 「軍事ロッジ」 の創設に好意的であり、自らもその集会に参加しています。
1778 年12 月に革命軍がフィラデルフィアを奪回したとき、勝利を祝って、およそ300人のフリーメーソンが市内を行進し、クライスト教会で記念集会を持ち、そのときワシントンはフリーメーソンの正装をして、行進の先頭に立ちました。
1779年12月、代表的な 「軍事ロッジ」 である 「アメリカン・ユニオン・ロッジ」 は、アメリカのフリーメーソンの中央組織として、ワシントンをジェネラル・グランド・マスターとし 「ナショナル・グランド・ロッジ」 の創設を計画しましたが、実現することはありませんでした。
ワシントン側近のフリーメーソンメンバー
ワシントンの周辺には、同じくフリーメーソンに加入していた側近が多くいて、ワシントンの副官であり、最初の財務長官となったアレクサンダー・ハミルトン、独立革命時代のアメリカ経済の中心にいたロバート・モリス、最高裁判所長官となり、「アメリカ司法会の父」 と呼ばれるジョン・マーシャル、南北戦争の南軍総司令官ロバート・リーの父であるヘンリー・リー将軍、「アメリカ海軍の父」 と呼ばれるジョン・ポール・ジョーンズ、アメリカ独立革命に共感してフランスから来たラファイエット侯爵も、「アメリカン・ユニオン・ロッジ」 において、フリーメーソンとなっており、この時に参入儀礼を催したのがワシントンでありました。
独立戦争は、サラトガの戦いで、アメリカ側が勝利を収めたのを機に、戦況はアメリカ優位になっていき、フランクリンの活躍によってフランスが参戦すると、イギリスの劣勢が明らかとなり、1781 年のヨークタウン陥落によって、戦争は事実上の終結を見て、1787 年にはアメリカ合衆国憲法が制定され、1789 年にはワシントンが初代大統領に就任しました。
1789 年は、7 月14 日 パリ民衆のバスティーユ襲撃により、フランス革命が勃発した年で、日本では将軍は徳川家斉で寛政元年で、寛政6 年に浮世絵師の東洲斎写楽が現れ、マリーアントワネットが処刑されたのが、1793 年です。
1789 年4 月30 日、ワシントンはニューヨークのウォール街で、初代大統領としての宣誓式にのぞみました。 この当時の首都は、ニューヨークであり、まだワシントン市は存在しておりません。
ワシントンの宣誓に立ち合ったのは、ロバート・リヴィングストンで、彼は 「ニューヨーク・グランド・ロッジ」 のグランド・マスターでありました。リヴィングストンは、フランクリンの後任としてフランス大使となり、ナポレオンとの交渉を通して、ルイジアナの買収に成功しています。
ワシントンの宣誓の時に使用された 「聖書」 は、ニューヨークの 「セント・ジョンズ・ロッジ・No.1」 から借用されたものであります。
ホワイトハウスの設計者
アメリカ合衆国の大統領官邸 「ホワイトハウス」 は、1792 年に着工されましたが、この設計者はアイルランド生まれの建築家ジェイムズ・ホーバンで、彼もフリーメーソンで、1793 年9 月18 日には、アメリカ政治の象徴となる議事堂の礎石を置く儀式が行われ、その儀式はフリーメーソンのロッジと提携して行われ、ワシントンはフリーメーソンのエプロンと記章をつけて、その儀式にのぞみました。
ちなみに、 「ホワイトハウス」 の名の由来は、1812 年の米英戦争において大きな損傷を受け、設計者のホーバンを中心として修復作業が進められ、傷を隠すために外側を白く塗ったことからですが、この建物がホワイトハウスと呼ばれるようになったのは、1902年にセオドア・ルーズベルトが、公式にその名称を採用してからであります。
1796 年、ワシントンは政界から引退し、マウント・ヴァーノンに引きこもりますが、その3 年後の1799 年12 月14 日に亡くなりました。
享年67 歳ワシントンの葬儀は、マウント・ヴァーノンでしめやかに行われましたが、その時ヴァージニアの 「アレクサンドリア・ロッジ・No.22」 の会員が多数参加して、アカシアの小枝を棺に置きました。 ワシントンは1788 年以来、このロッジの名誉グランド・マスターであったからです。
また、棺の上には、ラファイエット侯爵から贈られた特別のエプロンが置かれました。