ジェイムズ・モンロー
ジェイムズ・モンローは、モンロー主義で有名なアメリカ合衆国の第5代大統領ですが、彼は1775 年ヴァージニア州の 「ウィリアムズバーグ・ロッジ」 で、フリーメーソンに加入しています。
モンローは1758 年に、バージニア州ウェストモーランド郡で生まれ、キャンベルタウン・アカデミーで学んだ後ウィリアム・アンド・メアリー大学に入学し、1776 年に卒業しています。その後、大陸会議軍に加わって戦い、トレントンの戦いで功績を挙げました。
モンローは1782 年にバージニア下院に選任され、1783 年~1786 年まで大陸会議に貢献し、1790 年にジェファーソン流政策の主張者として上院議員に選ばれました。
1794 年~1796 年のフランス担当大臣として、モンローはフランスの立場に強い同情を示し、その後トマス・ジェファーソン大統領のもと、彼はロバート・R・リヴィングストンと共にルイジアナ購入協定を支援しています。
ジェームズ・モンローは1816 年の選挙で大統領に選出され、1820 年に再選されて2 期8 年間大統領職を務めましたが、モンローは大統領を務めた最後のアメリカ独立戦争退役軍人であります。 また、現在のフロリダ州は、彼の在任中にスペインから得たものです。
アメリカの孤立主義政策を象徴するモンロー主義
モンローは、アメリカの孤立主義政策を象徴するモンロー主義を掲げたことでよく知られていますが、1823 年12 月2 日、議会における教書演説で、南北アメリカは将来ヨーロッパ諸国に植民地化されず、主権国家としてヨーロッパの干渉がないべきであることを宣言。
当時、ラテンアメリカ各地で独立運動が高揚しており、これに対するヨーロッパのウィーン体制諸国の干渉を牽制する意図もあり、現実的な脅威として当時はアラスカがロシア領であり、これ以上のロシアの南下政策を懸念するという状況もありました。
彼にまつわる話としては、現在のヴァージニア大学は、1788-1817 年まで彼の所有する農場で、モンローは大統領に就任したその年に、その土地を大学に売却しています。
さらに、彼は黒人の解放奴隷を、アフリカ西海岸のリベリアに移住させる民間団体 「アメリカ植民協会」 の支援者でもあり、現在のリベリア共和国は、モンローが海軍を投入し、現地の部族から土地を奪って出来たもので、リベリアの首都はモンローにちなんで 「モンロヴィア」 と名付けられました。
しかしながら、リベリアに入植した黒人たちは約1 万人にとどまり、とても成功したとは言えません。 奴隷としてアメリカ大陸に送られて黒人たちは、その悲惨な歴史に非難を加えるものの、本音としてはアメリカからアフリカに帰りたいとは思っていないのです。