カーネルおじさん
ご存知、ケンタッキーフライドチキンのカーネルおじさんですが、本名はハーランド・サンダースであります。 1935 年にケンターキー州知事から名誉称号「カーネル」を授与され、カーネル・サンダースと呼ばれるようになりました。
彼もまた、フリーメーソンであります。ケンタッキー州最大の都市ルイビルとはオハイオ川ひとつを隔てた町、インディアナ州ヘンリービルで、ハーランド・サンダースは生まれました。
早くに父を亡くした彼は、工場で働く母を助けて6 才で料理を始め、弟妹と母のために焼いたパンが皆に大喜びされたのが7 才。
このときの嬉しさをカーネルは生涯語り続け、その感動が「おいしいもので人を幸せにしたい」というKFC の理念へと受け継がれていきました。
家を助けるため10 才から農場に働きに出たサンダース少年は、学歴といえば6年生の終了証だけ。
「自分の将来は自分で決めよう」
その後は独学で学びながら多くの仕事につきます。 機関士、判事助手、保険外交員、フェリーボートなど40 種に及びます。
そしてタイヤのセールスをしている時に出会った石油会社の支配人から勧められてガソリンスタンドを始めたのは30 代後半、「自分の将来は自分で決めよう」と独立します。
注文の前に、埃だらけの車の窓をサービスで洗いラジエーターの水を調べる。 「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」 という信念の実践でありました。
大恐慌と干ばつにより、農民に貸していたガソリン代が回収できずにスタンドはつぶれ、正に挫折の連続で半生が過ぎます。 しかし、幾度失敗しても立ち上がるサンダース。
ガソリンスタンドを利用する人たちのために物置を改造して6 席だけの小さなレストラン「サンダース・カフェ」をコービンに造ったのは1930 年6 月。
スタンドはサービスの良さで、カフェは味で評判となります。 その目玉が独特なフライドチキンで、素材にまでこだわった手づくりの味と細やかなサービスに、来客は列をなしました。
しかしながら、新しいハイウエーの建設により車の流れが変って維持できなくなった店を手放し、負債を支払ったカーネルの手元にはいくらも残りませんでした。
フライドチキンの調理法だけが唯一の財産
この時、65 才。 しかし、不屈のカーネルは、それを教える代わりに売れたチキン1 羽につき5 セントを受けるというFCビジネスを始めて大成功を収めました。
今日、我々がお世話になっているケンタッキー・フライドチキンは、カーネルが65 歳の時にはじめたものなのです。
他人を家人のように温かく迎えてもてなす、伝統的なアメリカ南部の人々の親切なもてなしをサザン・ホスピタリティといいますが、まさに彼のビジネススタイルでした。
カーネルは、少しでも余裕ができると慈善活動を行い、孤児院の子供たちのために毎日アイスクリームをつくったり、肢体不自由児のための基金をつくったりしています。
人を幸せにする事に引退はない精神
「決して引退を考えずにできるだけ働き続けろ」 「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎて錆付きだめになる方がずっと多い」その言葉どおり、カーネルは90 才で生涯を閉じるまで、現役を通しました。
また、ケンタッキーフライドチキンは、アメリカの共和党を支援するロックフェラー財閥と関係が深く、ペプシコーラもロックフェラー系であります。 アメリカの民主党を支援しているのは、ヨーロッパのユダヤ系ロスチャイルド財閥で、傘下にマクドナルド、コカコーラがあります。 世界中のKFC にはペプシコーラしか置いておらず、マクドナルドにはコカコーラしか置いてない筈であります。
共和党(KFC、ペプシコーラ) vs 民主党(マクドナルド、コカコーラ)というのが、アメリカの政治の構造です。