あの「グラバー商会」は、ジャーディン・マセソン商会の代理店!?
ジャーディン・マセソン商会は元東インド会社の船医でマニアック商会の共同出資者であるスコットランド出身のユダヤ人ウィリアム・ジャーディンと同じくスコットランド出身のユダヤ人で、カルカッタで貿易商として独立し、マニアック商会の共同出資者であったジェームズ・マセソンにより、1832年に中国のマカオに設立された貿易商社で、主なビジネスはアヘンと紅茶で東インド会社後期の利権をめぐって、サッスーン財閥と激しく争っていました。その後アヘン戦争が終わると、1941年に本社を香港に移しています。明治維新の功労者でフリーメーソンでもあるトーマス・グラバーが長崎に設立した「グラバー商会」は、このジャーディン・マセソン商会の代理店でありました。
財閥一族の複雑に絡み合う婚姻関係
サッスーン財閥と激しく争ったジャーディン・マセソン商会ですが、1877年にジャーディン一族と結婚したファミリーとしてとケズウィックという人物が現れ、サッスーン=ロスチャイルド連合との和解を申し出て、このアヘンにまみれ悪いことばかりしている2つの会社は手を組むことになりました。そうして、このジャーディン一族のウィリアム・ケズウィックはサッスーン一族(ロスチャイルドと親戚)が最大株主であるHSBC(香港上海銀行)の取締役として迎えられ、そうしてジャーディン家・マセソン家・ケズウィック家・ロスチャイルド家・サッスーン家は複雑に婚姻関係で結ばれていきました。大英帝国のヴィクトリア女王の時代にアヘン戦争は起こりましたが、その莫大な利益により、その富を取り扱う銀行が必要になりました。1864年太平天国が滅亡し、メーソン・ロッジが上海に林立した年、ロンドンで植民地協会が設立され、その4年後同協会は、英国王室の後ろ盾によって、王立直轄植民地協会と名を改め、この王立直轄植民地協会によって創立された金融機関がHSBC(香港上海銀行)であります。
HSBC(香港上海銀行)の出資者=高位フリーメーソンメンバー
出資者はデビッド・E・サッスーン商会、エヴリン・ベアリングのベアリング商会、ウィリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンのジャーディンマセソン商会、そしてロスチャイルド人脈の役員によって構成されているバークレイズ銀行であり全員が高位フリーメーソンのメンバーであったのです。東インド会社の蛮行が世界の非難を浴び正式に東インド会社は消滅しますが、名を変えてその利権はHSBC(香港上海銀行)、サッスーン財閥、ロスチャイルド財閥、ジャーディン・マセソン商会などが引き継いでいったのであります。
少し話は飛びますが、アメリカ大統領は以前はハーバード大学出身者で占められていましたが、最近ではブッシュ大統領はじめエール大学のスカル&ボーンズ出身者が幅を利かせています。このスカル&ボーンズを創設したのが、エール大卒業生のウィリアム・ラッセルとアルフォンゾ・タフトですが、このウィリアム・ラッセルのいとこが中国のアヘン戦争の引きがねとなる世界最大のアヘン密輸企業のジャーディン・マセソン社と手を組んでいた、ラッセル・アンド・カンパニーの経営者であります。あの名門エール大学も、その資金は中国のアヘンの利益から得ていたのです。ジャーディン・マセソン商会は超高級コニャック「ヘネシー」を販売し、日本では「ホワイトホース」の輸入業者として知られていますが、あのマンダリン・ホテルGrもジャーディン・マセソン商会が運営しているものです。
マンダリン・ホテルGrとジャーディン・マセソン商会
1963年に、香港に拠点を置くイギリス系の大手総合商社・ジャーディン・マセソン商会のヘンリー・ケズウィック会長の指導の元、当時イギリスの植民地であった香港のセントラルにオープンした「マンダリン香港(現在のマンダリン・オリエンタル香港)」が始まり、その後社名をマンダリン・インターナショナル・ホテルズと改名し、1974 年には、タイのバンコクにある有名ホテル、「ザ・オリエンタル・バンコク」を買収し、1985年に現在のマンダリン・オリエンタルホテルグループの社名に改名しました。
現在13カ国に21(約8,000 室)のホテルを展開し、シャングリ・ラ・ホテルズ&リゾーツや香港&上海ホテルズと並び、アジアを代表する高級ホテルチェーンとして欧米でもその名が知られており、2005年12月2日には日本初進出となるマンダリン・オリエンタル東京が日本橋にオープンしています。ロスチャイルドグループであるLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシ-)の洋酒販売部門は元ジャーディン・マセソンとダルモア蒸留所の合弁洋酒会社(ジャーディン・ワインズ&スピリッツ)からジャーディンが合弁から離脱しLVMH傘下となり、MHDディアジオ・モエ・ヘネシーという会社になったものです。
その頃日本は明治維新・・・
また明治維新で伊藤博文、井上馨ら長州5傑(Choshu Five)がグラバーの仲介でイギリスに密航しロンドン大学に留学に行きましたが、そのときの船はジャーディン・マセソンのもので、彼らを迎えたのはジェームス・マセソンの甥であったヒュー・マセソンでした。このように明治維新は、フリーメーソン、ジャーディン・マセソン商会、サッスーン財閥、ロスチャイルド財閥と深く関わっているのです。明治維新ではジャーディン・マセソン商会は、アメリカ南北戦争が終わり売れ残った武器を上海で取扱い、維新軍は「グラバー商会」を通じて銃や軍艦なども輸入しています。その取引のダミー商社が坂本龍馬が長崎に設立した「亀山社中」であります。この「亀山社中」は後に「海援隊」と改称されました。