オーストリア進出とフリーメーソン活動の禁止!?

 

オーストリアにもフリーメーソンは啓蒙主義と共にやってきました。マリア・テレジアの夫であるロレーヌ公爵は、既に1731 年、オランダのハーグにある「臨時ロッジ」 において、フリーメーソンに加入しています。

 

そのときマスターを勤めたのがデザギュリエで、オランダ大使として赴任中のチェスターフィーリド卿も同席しています。後に、ロレーヌ公爵は、ロバート・ウォルポール卿のノーフォークの館で開かれたロッジで、マスターの位階を受けています。

 

フリーメーソン活動の禁止!?

1730 年代は、ヨーロッパ全土にフリーメーソンのロッジが創設されていった時期であり、この動きを無視できなかったローマ教会は、1783 年に教皇クレメンス12 世の名で、フリーメーソン活動を禁止しています。

 

その理由としては、フリーメーソンの「秘密性」がり、当時カトリックでは懺悔のときに、神の前では全てを打ち明け、秘密は一切持たない、という重要な教義と矛盾するからでありました。

 

カトリック教会から言わせると、 「悪事を企てていないのなら、どうしてフリーメーソンの会を秘密にする必要があるのだ?」 というものでした。

 

また、フリーメーソンは、カトリック、プロテスタント、英国教会、ユダヤ教、などあらゆる宗教に寛容であったため、カトリックに対抗する一大勢力となり、もはやローマ教会がコントロールしきれない事を恐れていた一面もあります。

 

それまで、カトリックのローマ教会は、神の名の下で、全ての権力を掌握してきたので、その利権が崩れるのを恐れていたわけです。

 

それと、何よりもフリーメーソンの儀式やシンボルマークが何やら怪しげ過ぎて、不気味であり、悪魔崇拝の黒魔術をしているようにも思われ、かつ秘密主義ときているために、怪しげな陰謀をたくらんでいるに違いないと思ってしまったのも、無理ないことだと思います。

 

フリーメーソンに加入したり、その思想を広めたりすれば、カトリックから破門するという厳しいものでありましたが、この禁止令の実施に当たっては国家元首の承認が必要でありました。

 

それでも勢いを増すフリーメーソン

しかしながら、フリーメーソンの拡がったヨーロッパの国々では、国王ははじめ、政財界の大物たちの多くが加入しているので、現実は禁止令を出しても、バチカンへの外交辞令だけで、実際の警察による取り締まりはほとんど行われることはありませんでした。

 

バチカンのローマ教皇も、各国が禁止令を無視しているのが分かっているので、だんだんヒステリックになってきて、次の教皇ベネディクト14 世は、「教会法」の中にフリーメーソン活動を禁止する条項を付け加えました。

 

これによって、 「反フリーメーソン」 は、カトリックの正式な教義になってしまったのです。この条項は今でも残っており、第2335 条には次のようにあります。

 

「教会、または合法的な国家機関に対抗して活動するメーソン派、または他の結社の名を使う者は、破門の罰に処せられる」

 

これを受けて、カトリックであるスペインでは悪名高き異端審問所が動き出し、この頃の民間にフリーメーソンは 「悪魔のシナゴーク」 である、と主張するパンフや本が出回りはじめました。

 

内容は、魔女裁判やユダヤ人迫害と大同小異の代物で、 「メーソン会員は、この世の快楽と引き換えに悪魔に魂を売る儀式を行ってる」 というようなもので、今日にも残るフリーメーソンに対する偏見は、この頃のデマが大きな影響を与えていると言えます。




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また、バチカンが禁止令を出すにも関わらず、勢いを増すフリーメーソンに対して、ローマ教皇はさらにヒステリックになり、ピオ7世は、またもや破門令を1814 年に出しました。

 

文面も威厳に満ちた厳しいものから、単なる口汚い罵詈罵倒に変わって行きます。例えば、「地獄の集会の殺人的発展と陰謀」など。 しかしながら、これまたフリーメーソンの勢いは増すばかりであったということは、言うまでもありません。

 

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神聖ローマ皇帝のフランツ1 世と天才音楽家のモーツァルト

オーストリアにおいて、フリーメーソンが全面的に禁止されるのは、マリア・テレジアの夫であった神聖ローマ皇帝のフランツ1 世(Franz I. Stephan von Lothringen)が在位していたときでありました。

 

1780 年にマリア・テレジアが亡くなり、その息子で神聖ローマ皇帝のヨーゼフ2 世が、その後を継ぎましたが、啓蒙思想に傾倒していた彼は、フリーメーソンにも寛容な態度でのぞみ、その保護の下でオーストリアのフリーメーソンは全盛期を迎えました。

 

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そうして、知識人・芸術家・貴族・富裕商人などが、続々とロッジに集まり、このような時代背景のなかで、天才音楽家のモーツァルトも1784 年12 月にフリーメイソンに加入し、

 

翌1785 年には名作 「フリーメイソン葬送音楽」を作曲するなどフリーメイソンの運動に積極的に参加し、フリーメイソンの関連作品を10点ほど残しており、

 

1) 歌曲「ヨハネ分団の儀式のための讃歌“おお、聖なる絆よ”K.125h」

2) カンタータ「あなたに、宇宙の魂よK.468a」(未完) 1785-91 年?

3) 歌曲「会員の旅K.468」 1785 年

4) カンタータ「フリーメイスンの喜びK.471」 1785 年

5) 管弦楽曲「フリーメイスン葬送音楽K.479a」1785 年

6) 合唱付き歌曲「あなた方、我らの新しい指導者よK.484」 1785 年

7) 合唱付き歌曲「親しい友よ、今日こそK.483」 1785-86 年初

8) 独語小カンタータ「無限の創造者を崇敬するあなた方がK.619」 1791 年

9) 小カンタータ「我らの喜びを高らかに告げよK.623」 1791 年

10) 歌曲「我らの手に手をとってK.623a」 1791 年

 

 

これとは別に、最後の年に作曲されたオペラ「魔笛K.620」 は、フリーメイソン運動が生み出した最大傑作と言われています。

 

 


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